多くの店舗が軒を連ねる深川仲町通り商店街。その一角にあるみなとやは、1948年から続く老舗の煎餅屋だ。
「戦後の動乱期、うちの祖父母が故郷の八丈島からここで店を構えたのが発端なんです」と話してくれたのは、3代目の青木毅司取締役だ。
「素材の仕入先をどうにか見つけてきて、煎餅やあられ、煎り豆をはじめたそうです。繁盛したことから島にいた親類縁者や若者を働き手として呼び寄せ、僕が幼稚園生だったころまでは同じ建物内に何人もの職人が住み込みで働いていたんです。汗をかきながら、みんなで作っていた記憶が今でも色濃く残っています」
やがて技術を身につけた職人たちは、暖簾分けする形で散り散りになっていく。時代も高度経済成長期が終わり、改めて手の届く範囲での商売を大切にしようと決意。老舗煎餅屋として地元から愛されている。
看板商品の煎餅は、埼玉北部と青森、2カ所から厳選して仕入れたうるち米ベースの生地を採用。ベルトコンベアは使わず、昔ながらの製法を駆使して網の上で何度もひっくり返しながら焼き上げていく。味付けも昔ながらの手作業で行う。
揚げ餅は自社内で餅つきをし切った後、空の様子をうかがいながら必ず屋上で天日干しを行う。一般に使われているフライヤーではなく、昔ながらの中華鍋を使って揚げている。そのほうが生地と対話しながら作業が出来、理想的な状態で揚げられるのだという。
「ひなあられって、ふんわり、サックリという食感が命。それを実現するには、手切りするしかないんです。桃の節句のときには人手が足りませんから、その時は暖簾分けしていった職人たちを呼び寄せ、一堂に会して作業しています。うちとしては毎年の風物詩ですね」
半世紀以上にわたって続いてきた製法を守り続ける。それがみなとやの特長だが、青木さん自身はそこにこだわってはいないと話す。
「先代から教わってきたやり方を続ける以外に、うちが作ってきた味を実現することはできない。ただ、それだけなんです。煎餅もベルトコンベア導入を導入すれば効率よく作れるんでしょうけど、そうするとみなとやの煎餅じゃなくなってしまいますから。うちの味を求めているお客様がいる限りは、下手なことはできません」
多種多様な菓子の製造を続けているのも、顧客のためだ。創業当時は人気だった豆菓子も今ではそこまで売れない商品だが、青木さんは「やめてはいけない」と感じている。
「年に1度、節分豆で神社さんからお話しをいただいて、うちが止めてしまうとみなさんが困ってしまいますから。地域のつながりが強い土地柄でもありますし」
伝統の菓子作りを続けているものの、すべてが保守的というわけではない。むしろ、インターネットのECサイトを通じてみなとやを知った人にとって、ここまでの話はまったく予想外だったかもしれない。ECサイトでのみなとやは、「プチギフト菓子処」として前衛的なアイデア商品を販売しているからだ。「ありがとう」「お疲れ様」といったメッセージが書かれたり、ネコやイヌのかわいらしい顔が描かれた煎餅がパソコンやスマホの画面上の現れる。
「実店舗販売だけでも商売はできていましたが、経営的には厳しい状況が続き、2000年頃からECサイトを立ち上げました。インターネットでは、いくら味がよくても普通の煎餅を注文する人はあまりいません。そこでしか買えない、個性的なモノを求めているんです。可食性プリントができる機械を導入していたので、家族や従業員でアイデアを出し合い、興味を引く商品を開発していきました」
ECの売上は年々拡大し、現在の売上は実店舗と同程度にまで成長している。
東東京モノヅクリ商店街では、こうしたECサイトで展開しているアイデア商品のブランディングを煮詰めている。
伝統の煎餅に、変わり種のアイデア菓子。すべてに共通しているのは、それを手にした人の顔に笑顔がともることだ。
「綺麗事に聞こえるかもしれませんけど、商売をしている者としては、お客さんに喜んでもらえるのが一番。それを追求すれば、売り上げも自然とついてくるのかなと思っています。感動する気持ちは伝播しますから。一発当ててやろうなんて浅い考えだと、すぐに見透かされてしまうでしょうね」
企業の社会的責任を果たすことにも積極的だ。地域の祭り事への協力をはじめ、ネコ型煎餅を展開していることから、江東区を中心にネコの保護活動をボランティアで行っている「江東ねこの会」に売り上げの一部を寄付している。
「みんなが感動できて、笑顔になる。これからも、そんな輪に加わり続けていたいですね」
有限会社みなとや
〒135-0048 東京都江東区門前仲町2-4-9
0120-80-3708
https://www.minatoya.biz/