葛飾・柴又。名物・草だんごを手に遊覧する人で賑わう柴又帝釈天参道から200mほど南下すると、丸枡染色の大きな本社工場が見えてくる。 映画「男はつらいよ」の舞台として有名なこの地は、江戸川と中川に挟まれた水流豊かな街。そんな柴又に工場を構える丸枡染色株式会社は創業1901年の老舗染色会社。過去四代にわたり、豊富な経験や知識と卓越した染色技術を糧に、激動の時代を生き抜いてきた。
「弊社はもともと京都友禅の専属工場として創業しました。しかし戦後から高度成長に入ってく中で和服の需要は減少。和装から洋装の変化に伴って繊維の一大産地だった東東京では、丸編みニットと呼ばれる柔らかくて伸縮性のあるTシャツ生地が生産されていきます。三代目が、和服の染色から洋服の染色へ業態変換しました。職人技術を工業化して、無地染めやシルクスクリーンプリントに挑戦し、たくさんのトライアンドエラーを繰り返し、今があります」。
この日案内してくれた製品部の清野さんは、丸枡染色が手掛ける事業についてそう紹介してくれた。
生地の整理から仕上げまで、一貫した生産できる体制を備えている。 「生地屋やアパレルメーカーも多い東京という立地で、『浸染』『捺染』『インクジェット』の3種類の染めと仕上げ、整理まで一貫しているのは大きな強みです」 特に得意としているのが、天然繊維への染色だ。染色後の仕上がりにバラツキが出てしまいやすいが、丸枡染色では熟練の技術とノウハウを活用することで一定以上の品質を実現できるという
「生地は色合いはもちろん、心地よいタッチ感であったり、素材本来の特徴を生かした風合いというものが大切です。自社商品に関して言えば、最終的なタッチ感や風合いを共有したうえで理想に近づけるよう追い込んでいきますし、オーダーを受けた仕事でも生地の縮率の検査や仕上げ幅などをきちんと行ってから染色作業に移しています。 染色工場というと、『ただ生地を染めているだけ』と思われるかもしれません。もちろんその認識でも間違いではありませんが、理想的な染めを実現するためには目に見えない工夫が随所に秘められているのです」
100年以上に及ぶ歴史と、幅広い染色技術。トライ&エラーの結果が、生地に表現されている。
2011年、丸枡染色は新たな取り組みとして自社ブランド「marumasu」を現会長の子息である松川和広さんが立ち上げた。 「入社してすぐにオリジナルの生地を作り、アパレルやデザイナーに企画提案して別注に繋げる新規事業を担当。ファッションは移り変わりの早い業界。
短サイクル、小ロットが当たり前になりつつある中で、例え注文に繋がっても客先ごとに細かい対応が必要で量産までは長い期間がかかります。5年の歳月が過ぎた頃に、自分たちでブランドをやるしかない、と」。それがブランド設立のきっかけでした。
自分たちの染色技術を最大限活かしつつ、よりわかりやすい形でプロモートできる商材こそ、スカーフだったのだ
ストールからスタートし今年でブランド設立10年目、今ではターバンや団扇など取り扱い商品を拡充。その背景には、昨今叫ばれているサステナブルな視点が存在している。
「近年では、本来廃棄されてしまう生地のアップサイクルにも取り組むようになりました。つくる工程でどうしても出てしまう残布、少しの染料飛びや糸つれなどのある製品にできなかった生地たちを大切に保管してきました。
それらのいいところを新しい商品に生まれ変わらせる「アップサイクルプロジェクト」サステナブルな取り組みの中で一点もののヘアターバンが出来上がりました。昨今問われているサステナブルな視点でも、意味のある取り組みだと考えています」
まさに今、”marumasu”はスカーフブランドとしてのフェーズから、テキスタイルブランドとしてのフェーズへ移行しようとしているのだ。卓越した染色技術を駆使するファクトリーブランドは、まだまだたくさんの可能性を秘めている。
「身の回りを見ていくと日々のライフスタイルの中に“布もの”はたくさん存在していますよね。その中でストールは、外に出かけるときに身に付けるもの。だからこそファッション性や、身に付けることで楽しい気分になる高揚感を大事にしています。でも、その感覚は家の中にあっても良いはずです。染色の技術を使って世界中の人の生活や人生をちょっと豊かにしていく、これからもその可能性を追求していきたいと思っています」。
高品質な染色生地や色鮮やかな世界観、モノヅクリの姿勢。より多くの人の心に届くことで、丸枡染色はさらに輝きを増していく。